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わたしとWebとパソコンと

No.4 視覚障害者の社会参加で(中編)

前回に続いて、宇佐美昭治さんのインタビューを紹介します。(前回のインタビューを読む

地域にかかわりたいと「アイネット」

岩渕:宇佐美さんが次に取り組んだのは、鶴ヶ島視覚障害者の会「アイネット」の設立だと思っていましたが、あっているでしょうか?

宇佐美:そうですね。

岩渕視覚障害者の会の構想は前からあったのでしょうか?

宇佐美:退職後、地域にかかわりたいということで、退職の2~3年前から考えていました。

岩渕:アイネットはどのような会なのか、簡単にご紹介ください。
アイネットについて語る宇佐美さんの写真

宇佐美:私たちは、視覚障害者の福祉と生活の向上を目的に会の運営をしております。「視覚障害者が安心して生活し安全に行動できる鶴ヶ島市」を目指して活動しています。障害者が住みやすい街は、必ず市民の皆さんにも住みやすい街になると信じています。

岩渕:会員は何人くらいでしょうか?

宇佐美:視覚障害者が20名くらいで、健常者が20名くらいです。

岩渕:鶴ヶ島市の視覚障害者は何人くらいいるのでしょうか?

宇佐美:市内で100名います。

岩渕:20%を組織しているということですね。

宇佐美:そうなります。

岩渕:けっこう高い組織率だと思いますが、どうでしょう。

宇佐美:決して高いとは思いません。その理由は、80%の人に連絡できない。存在が分からない状態だからです。

岩渕:連絡ができないというのは?
アイネットの総会の写真

宇佐美:公的な、たとえば公的機関が持っている情報は、個人情報の関係で知らせてもらえないので、働きかけができません。

岩渕:坂戸でもそうですね。坂戸パソボラが「視覚障害者のためのパソコン体験講座」を開催するにしても、視覚障害者の団体に講座があることを伝えてくれるよう市役所の担当者に依頼はできますが、自分たちで知らせることができないでいます。

パソコン率は75%

岩渕:話を戻しまして、それでも某市に比べると鶴ヶ島はけっこう高い組織率だと思いますが、アイネットの中でのパソコン率はどうでしょうか?

宇佐美:70歳以下のほとんどのかたはできます。

岩渕:パーセントでいうと?

宇佐美:20人中できないのは5名ですので、75%です。

岩渕:75%なら、高いと思っていいでしょうか?

宇佐美:これは高いと思います。
アイネットサロンでくつろいでいる写真

岩渕:パソコンを使っている皆さんが集まってきたのでしょうか?

宇佐美:いえ、会を立ち上げたときには、パソコンを使っていたのは5名でした。

岩渕:そうでしたね。知っていましたが読者の皆様に代わって聞いてみました (笑)

宇佐美:(笑)

岩渕:このパソコン率は、視覚障害者の会の中ではけっこう高いほうだと思いますが、パソコン率が高くなったのは、会員さんからの声で? それとも、宇佐美さんからの意識的な働きかけの結果としてでしょうか?

宇佐美:ほとんど私のほうからの押し付けで (笑)

最初のころの反応は?

岩渕:パソコンを学びましょうと働きかけたのは、どのような思いからだったのでしょうか?

宇佐美:これからはパソコンが情報に欠くことのできない道具だと思ったからです。

岩渕:なるほど。最初のころの皆さんの反応はいかがでしたか?

宇佐美:正直いって、皆さん、自信がなさそうで、不安そうでした。でも、キーボードを叩いているうちに、なんとなくできるんじゃないかと思うようになってきました。
その中で、音楽を聴きたいという人もいて、その人が興味をもってもらえるものから始めるよう工夫しました。
アイネットのパソコン部会の写真

岩渕:確か私がアイネットのかたのサポートに行ったとき、音楽CDの聴き方の話が出たように思います。坂戸パソボラの講座のテキストの中でも、パソコンで音楽CDを聴くことができることを載せてありますが、そういったことも参加する人の思いとマッチしてたのですね。

ところで、けっこう前から、世の中「猫も杓子も」状態で「IT化」に突入している昨今ですが、視覚障害者の皆さんは、そのあたり、どのように感じていたのでしょうか?

宇佐美:まず私にはできないでしょうというのがありました。
でも、始める前はそうだったとしても、始めてからのことについてはひとつあります。これは推測ですが、パソコンを使うようになった視覚障害者は、パソコンを通して子どもと対話できるようになっているのではないかと思うのですよ。パソコンをやっていると子どもに「ガンバッテね」と言われたというのを聞いて、パソコンという共通の話題でもって、コミュニケーションすることが増えているように感じます。

岩渕:だからこそ、地域のパソボラグループである坂戸パソボラも、地域の障害者団体であるアイネットさんに、ずっと協力し続けているわけです。

宇佐美:これからもよろしく。本当のことを言うと、このあたりで視覚障害者のパソコンボランティアをできる唯一の団体は、坂戸パソボラだと思います。

岩渕:と言いますと?

宇佐美:ひとつには、定期的なサポートの場を提供していること。ふたつには、視覚障害者に教えるに際して、「教えるノウハウ」を備えていること。そのための講座を毎年開催していることです。
パソコン体験講座でサポートしている写真

岩渕:期待に応えて今後とも、ご一緒にパソコンのサポートを続けていきたいと思います。


No.4 視覚障害者の社会参加で(前編)

宇佐美昭治さんには肩書きがあります。鶴ヶ島視覚障害者の会「アイネット」の会長です。
宇佐美さんと初めて出会ったのは、坂戸パソコンボランティアが開催した「視覚障害者のためのパソコン体験講座」でしたが、今回のインタビューでは、視覚障害者の社会参加とパソコンやウェブやケータイとの関わりを、代表をしている鶴ヶ島視覚障害者の会「アイネット」の歴史と重ね合わせながらお聞きしたいと思います。

盲学校で、全て活字で

岩渕:最初に、宇佐美さんから自己紹介をお願いします。とあらたまって聞かれると緊張しますか?(笑)

宇佐美:緊張します(笑)

岩渕:宇佐美さんは、地元では有名人ですから、こういったインタビューは慣れっこだと思っていましたが。

宇佐美:慣れっこじゃありません。口下手ですから苦手です。インタビューなんて初めてです。

岩渕:では、こちらもそのつもりで、ゆっくりいきたいと思います。
さて、宇佐美さんと初めて会ったときには、すでに見えなかったと思いますが、そもそも、どういうきっかけでの出会いだったか、覚えておいででしょうか。

宇佐美:確か、坂戸パソボラの例会だったと思いますが、あまり印象に残っていません。それから、川越の埼玉県立盲学校でやったパソコン体験講座への参加でした。
パソコンを操作している写真

岩渕:私の記憶でもそうです。宇佐美さんは中途失明だったと聞いた覚えがあります。障害をもつ前は、どのような生活ぶりだったのでしょうか。

宇佐美:実はわたし、盲学校に行っていたんですが、点字の教育を受けていませんでした。すべて活字でやっていたのです。

岩渕:では、どうして盲学校に通っていたのでしょうか?

宇佐美:元々は、視野が狭いのと暗いところが見えない夜盲症だったので、将来に不安があったため盲学校に入ったのです。

盲学校、ここだけの話

岩渕:不安があって入ったのはわかりましたが、すると、盲学校では何をしていたのでしょうか?

宇佐美:あまり勉強してなかったですね。実は、人の免許を借りて高3から開業してしまいました。もうひとつ内緒話をすると、兄も同級生なんですよ。兄は高校1年生を3回、2年生を2回、3年生を2回しているうちに追いついてしまいました。

岩渕:大変な内緒話、ここだけの秘密ということで(笑)

宇佐美:はい。それは秘密ということで (笑)。盲学校には、マッサージ・針灸の勉強をしに入ったのです。

岩渕:勉強の甲斐あって、早くも開業(笑)

宇佐美:(笑)。盲学校なら、私は見えるほうになりましたので、とても活動的になりました。
実際、盲学校には入りましたが、視力は0.2から0.3ありました。新聞の字も十分に読める視力でしたので、点字の勉強をする必要がなかったのです。
視覚障害者の皆さんがお花見をしている写真

岩渕:そのあたりが、宇佐美さんが「実は点字は苦手です」と語っている裏の事情だったのですね。ようやく分かりました (笑)

開業してから、ずっと自宅で働いていたのですか?

宇佐美:開業していたのは卒業するまでで、卒業してからすぐ病院勤めに入りました。定年まで、ずっと病院に勤めていたのです。

ボートにスケート、飲み歩き

岩渕:なるほど。模範社員の傍ら、模範社員以外では、どんな趣味や夢、生きがいなどを持っていたのでしょうか?

宇佐美:ボートに行ったりスケートに行ったり飲み歩いたりしていました。歌声喫茶にも行っていました。

岩渕:宇佐美さんと初めてお会いしたときの記憶では、朗読テープをデイジー図書にする依頼があって、そのときの本が「東京周辺の山」だったと思いますが、山登りも趣味だったのではないでしょうか?

宇佐美:山登りは、全く見えなくなった50代になってからです。
視覚障害者の交流会でオカリナの演奏を聴いている写真

岩渕:あの本は、私も山歩きの参考にしていたので、その本の依頼というだけで、宇佐美さんに親近感をいだいた記憶があります。今だからこその制作秘話です(笑)


No.3 次第に見えなくなる生活の中で(後編)

前回に続いて、岡野五恵さんのインタビューを紹介します。(前回のインタビューを読む

見えるうちに慣れておこうと

岩渕:初めて坂戸パソボラの「視覚障害者のためのパソコン体験講座」に参加した当時は、勤め先の会社でパソコンを使っていたとのことでしたが、自宅ではどうでしたか?
パソコンの画面を見つめている岡野さんの写真

岡野:主人がたまに持ち帰ってましたが、私は使ってなかったですね。

岩渕:使っていなかったパソコンを使いたいと思うようになった気持ちの中には、パソコンを使うことで何かが変わるかもしれないという期待があったのでしょうか?

岡野:ありましたね。なんせ普通の画面だとまぶしくて使えなかったのですが、「視覚障害者のためのパソコン体験講座」があることを市の広報で知って参加してみたら、自分の目にあった設定ができると教えてもらいましたので。必要に迫られていたわけではなかったけど、使えるならまだ見えるうちに慣れておこうと思って、パソコンを購入しました。

岩渕:まだ見えるうちにパソコンに慣れておこうと「パソコン体験講座」に参加する人は、岡野さんに限らずけっこういます。

岡野:でも、機械への苦手意識が強くて、仕事もしていたし、購入しても2年くらいほったらかしで、相変わらず箱の中でした (笑)
初めて講座に出た翌々年くらいにまた講座に参加して、そのとき「パソコンあるんですけど」と言って、設定をしてもらいました。

知らないと聞けない

岩渕:岡野さんは色々なホームページを見ることができるようになったわけですが、普段どのようなウェブサイトを利用していますか?

岡野:普段は、これは何?とわからないことがあるとインターネットで調べていますね。旅館とかホテルとか、旅行に関することもけっこう多いです。旅行先で調べたいことがあっても自分の目で確認することができないので、とりあえずどこで乗り換えるかとか調べます。道を聞くにしても「どこに行くにはどう行けばいいですか?」と聞けますし。聞き方が具体的じゃないと、聞かれたほうも困るみたいです。東京の人って、わりと知らないんです。

岩渕:東京でなくても、そうですね (笑)

岡野:自分が“聞くための情報”を知らないと聞けないことがわかりました。
それと、「楽天市場」のメールがくるので面白そうだと思うんですが、これ欲しいと思ってもたどりつけないんです。買いすぎないので、それでいいのかもしれないけど (笑)

ゴミ箱行きも確かめてから

岩渕:本棚の辞書やガイドブックではなくインターネットで調べるのは、本だと見えないからですよね?

岡野:はい、そうです。本だけではなく、一人でお店まで行き着くことはできても自分が買いたいものを探すことができなくて。人に頼むと好きなものでなくても、つい好きだと言ってしまうじゃないですか。自分で納得して買い物ができるようになったら良いなと思っています。

岩渕:パソコンが使えるようになったことで、また、ウェブを利用できるようになったことで、趣味や夢、生きがいや生活の変化はいかがでしょうか。今までできなかったことができるようになった、あるいは、以前していたことがまたできるようになったということはあるでしょうか?

岡野:趣味では変わりがないですが、スキャナーとOCR(Optical Character Reader:光学式文字読取装置)を導入してからは何が書いてあるか確認できるようになりました。

岩渕:ということは、パソコンを使えるようになる前やホームページを見ることができるようになる前はどうだったのでしょうか?

岡野:子どもが学校からプリントとかもらっても自分では読めないので、主人に確認してもらっていましたが、新聞のチラシとかもらった小冊子とかも、前はそのままゴミ箱行きでした。今では何が書いてあるか確かめてから捨てるようにしています。主人が忙しいとなかなか見てもらえないこともありましたが、自分で確かめられるのが良いですね。

岩渕:パソコンを使い出したことで、ウェブを利用し出したことで、予想外だったことはありましたか?

ATMが使えないので

岡野考えている岡野さんの写真見えなくなってきたことで銀行のATMが使えなくなり、去年の秋くらいから自分の口座のある銀行に視覚障害者が使えるよう要望を出していたんですが、「じゃ、それは点字ですか?」と弱視の人の目の状態をわかってもらえなかったんです。高齢者の人も今のようなATMだと使いづらいのに、意見として聞いておきますねで話が終わりました。
春にもう一度聞いたときには、ちょっと進んで、「どういうのが良いですか? やっぱり点字ですか?」と言われて (笑)。それからまた半年たって、たまたま昨日、メーリングリストで「セブン銀行のATMが全部視覚障害者に対応したものになる」とあったので、半年ぶりにまた銀行に電話をかけたんです。

岩渕:すると!

岡野:そうしたら、「世の中はそういう風潮になってますから、そろそろウチも窓口のある店舗に1台くらいずつ入れるようになってきました」と言われたので、「人がいないところのほうが肝心なんですよ」と言ったところ、「一気にはいかないが、無人のATMにも入れることを検討します」との答えでした。坂戸の駅前にも早く入るといいですが、その前に私のほうがインターネット銀行を使えるようになっているかもしれませんね (笑)

岩渕:「坂戸の駅前」というと「宝くじ」の?

岡野:はい、「宝くじ」の銀行です (笑)

岩渕:インターネット銀行が使えるようになったとして、全部インターネットで済むようになって、現金を使うことがなくなるのでしょうか?

岡野:なくなりませんね。新聞代とかタクシーとか現金の出し入れはありますので、やっぱり早く坂戸の駅前が視覚障害者に対応したATMになってほしいです。
普通の字が見えなくなってからは広報を読むのは諦めていたんですが、「パソコン体験講座」の中で「声の広報」があるのを知って、利用するようになりました。これって、直接「予想外」ではありませんが、私にとっては「声の広報」があるなんて予想外でした (笑)


No.3 次第に見えなくなる生活の中で(前編)

弱視の岡野五恵さんと初めて出会ったのは、6年前に坂戸パソコンボランティアが開催した「視覚障害者のためのパソコン体験講座」。岡野さんにとって、次第に見えなくなるとはどういうことなのか、次第に見えなくなる生活の中で、Webやパソコンやメールやケータイはどのように役立っているのか。岡野さんの生活を通して、耳を傾けたいと思います。

「障害者」を意識するとき

岩渕:最初に、自己紹介をお願いしたいと思います。岡野五恵さんは、どのような人なのでしょうか?

岡野岡野五恵さんの写真わりとサッパリしてると言われるんだけど、ウジウジしてるんです。でも、ウジウジしているわりには身体を動かすのが好きで。スポーツマンなんだからサッパリしているはずなのにね。動いているのは好きだけど、動いていないことも多くて、両極端の性格なんです。本は読めないのでジッと座って朗読を聴いているのは苦になりません。しばらく座って充電して、また動き出す。そんなところでしょうか。

 

岩渕:色々な性格が矛盾無く同居しているお得な性格ということですね (笑)

さて、今の自己紹介ですが、話の中に「障害」という言葉は出てきませんでした。ということは、自分の中では紹介するまでもないことなのでしょうか?

岡野:そうですね。自分の中には見えないことによる「障害者」という意識は確かにないですね。とりあえず自分の家の中のことをこなしているんですが、そのときは障害者という意識はあんまり、いや、全然していなくて。ただ、外に出ると、自分はやっぱり「障害者」なんだなということを意識せざるを得なくなりますね。
自分が「障害者」なんだと意識させられてしまうときって、落ち込みますね。まだ中途半端なんです。何を基準として「障害者」なのか、自分の中でわかっていないところもあるし。
病気の人たちがいますよね。でも、その人たちのことは「障害者」とは言わないし、行政との関わりでは「障害者」なんだなと思ってしまうとか。自分と違う形の「障害者」を見ると、「障害者」なんだと思うし。自分が「障害者」であることを拒絶しているわけではないんだけど。まだ自覚が足りないのかもしれません。

岩渕:「自覚が足りない」のは、最初からの「障害者」ではなく「中途障害」だったから…と言いたかった?

岡野:そうそう (笑)

岩渕:そのあたりに進む前に、そもそも、岡野さんはどういった障害をおもちなのかというところからお話ください。

網膜色素変性症

岡野:「網膜色素変性症」という病気で、今の目の状態は視野の欠損が97%、視力は右が0.01、左が0.02です。この春から急激に視力が落ちてしまって、物の陰影がハッキリしない状態で、霧の中にいるような感じでいます。外出するのが好きだから、わりと一人で出かけていたのですが、歩行もだいぶ危なっかしくなってきたなと思うようになりました。電車も一人で乗り降りしていたのですが、ホームの移動で恐怖感が出てきて。自分の向いている位置や方向感覚がわからなくなって、周りの人にだいぶ助けてもらうようになりました。

岩渕:障害をもつ前は、どのような生活ぶりだったのでしょうか?

岡野:普通の主婦でしたね。子どもが二人いるんですが、下の子がちょうど1歳になった頃にこの病気がわかりました。それまでは子育て中の普通の主婦でした。

岩渕:そんな岡野さんは、主婦としての顔以外に、どんな趣味や夢、生きがいなどを持っていたのでしょうか?

岡野:動いているのが好きだったから、子どもを連れてよく出かけていたし、ボールとかをもって公園で遊んでいたり、とにかく身体を動かすのが好きでした。そのころはウオーキングもしてましたし、エアロビクスもしてました。子どもたちが寝ている朝早くには公園で太極拳もしてました。やっぱり身体を動かしてましたね。映画もよく見に行ってました。

岩渕:どんな映画を? やはり身体を動かす映画でしょうか? (笑)

岡野笑っている岡野さんの写真子どもたちもいたので、『ハリーポッター』とかジブリの映画は必ず見に行っていましたね。今でも「金曜ロードショー」でやるときは必ず見ています。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』や『紅の豚』が好きですね。

 

だんだん見えなくなる…

岩渕:先ほど、お子さんが1歳の時と言っていましたが、何年くらい前だったのでしょうか?

岡野:今17歳だから、16年前ですね。

岩渕:だんだん見えなくなるというのは、本人にとってはどのような感じなのでしょうか?
こういったインタビューで初めて知る人もいると思いますので、立ち入った質問であっても、また知っていることであっても、あらためてお聞かせいただければと思います。そうですね。答えるにあたっては、この方面での「障害者代表」になったおつもりでお願いします (笑)

岡野:そうねー。その診断を下された時には、まるで不自由がなかったんですね。だんだん見えなくなると言われたり、障害者手帳を申請したほうが良いといわれても、全然ピンとこなくって、そのまま今の状態が続くような気がしてたんだけど、2~3年たったころから少しずつ進行してきて、やっぱりその時には、どうしようというか、どうなるんだろうみたいな不安な気持ちでした。今のうちにできることは全て体験しておきたいという、追い込まれるような切迫感を感じてましたね。
極力自分の力でやりたい、他人の力を借りないでしたいという、自分で壁を作って苦しんでいたような気がします。

岩渕:岡野さんと同じような「網膜色素変性症」の人は、多いのでしょうか?

岡野:そうですね。私が診断を受けた頃は自分の周りにこの病気の人が居るのを聞いたことがありませんでした。そのうち個人情報の扱いが厳しくなって、病院とかで聞いても教えてくれなくて。私が診断を受けてから3~4年くらいたってから網膜色素変性症の団体「日本網膜色素変性症協会(JRPS)」が立ち上がることを新聞で知って、第1回目の立ち上げの総会に行ったんです。私、会員番号が25番なんです。

岩渕:JRPSができる前は、患者さんたちの間での情報交換のようなものはあったのでしょうか?

岡野:情報交換をする場があったかどうか私は知らないんですが、JRPSそのものは千葉大学の安達惠美子先生を中心に立ち上がったんです。「色変(網膜色素変性症)」はお医者さんから見離された病気だと私は聞いていました。でも、「色変」の患者がけっこういて、「色変」の患者を何とかしようという先生たちもいて、千葉大学が中心となってJRPSが立ち上がったと聞いています。

岩渕:障害者団体というのは、歴史の古い団体がけっこうありますが、そうではない、比較的若い団体なんですね。弱視イコール「色変」なのでしょうか?

岡野:いや、「色変」だけじゃないと思いますね。ベーチェット病とか糖尿病もあるみたいだし、「色変」だけじゃないと思います。

岩渕:今お聞きした範囲では、弱視は全て病気からですが、病気に由来しない弱視もあるのでしょうか?

岡野:どうなんでしょう。両眼の視力が0.3以下で、メガネやコンタクトで視力の矯正ができないものを「弱視」というようですが。

岩渕:弱視の人からのサポート依頼はこれからもあるわけで、そのあたりは自分でも調べてみます。

岡野:私も調べてみます。

通り過ぎたりぶつかったり

岩渕:岡野さんの場合ですが、どのように見えているのでしょうか? 見えなくなってきた当時の状態からお聞かせください。

岡野:夜、自転車で主人の後ろを走っていたとき、主人が角を曲がったのに気がつかなくて通り過ぎたり、子どもが寄ってきたのに気がつかなくてぶつかったりすることが頻繁になってきたんです。それが病院に行くきっかけでした。
その頃は、夜盲症が進んでいるのかなぁと思ったり、視野が狭いのでぶつかったりしてるのかなぁとは思いましたが、普通の生活はできました。だから、性格的にそそっかしいからかな?とノンビリ思ってたんです (笑)
でも、一度病院で診てもらったほうがいいということになって、大学病院に行きました。

岩渕:病気になる前の目の状態はどうだったのでしょうか?

岡野:小学校6年生から近視と乱視ということでメガネをかけ始めてました。
メガネだったりコンタクトだったりという生活は、15~16年くらいでしたが、病院でコンタクトを作るじゃないですか。その間一度も目の病気だと言われたことはなかったです。

岩渕:自分としては突然だったということでしょうか?

岡野:そうですね。びっくりしました。

岩渕:突然なる病気なのでしょうか?

岡野:いや、違うと思います。「先天性」だと言われますから、それなりに徐々に進んできたんだと思いますが、かといって、わかっている範囲の家系には居ないし。「先天性」とは言われているけど突発的になる人もいるみたいだし。

岩渕:つまり、身内にいないからといって油断はできないということですね。何かあったら気にすることにします。

岡野:気にしてください。私もだんだん進行するにつれて、自転車でぶつかってみたり…が多くなっていって、できなくなることが多くなりました。自転車をやめたほうがいいとか。進行するにつれてまぶしさが増してきて、メガネの色を一番濃くしたし帽子も手放せなくなりました。

No.2 肢体障害者の施設の中で(後編)

前回に続いて、清水正男さんのインタビューを紹介します。(前回のインタビューを読む

トラブルが多いのが一番

岩渕:パソコンを使う上で、ウェブを利用する上で、こういったところは使いにくいということがありますか?

清水:パソコンでいうと、トラブルが多いのが一番です。ちっちゃなトラブルでも解決するまで1時間も2時間もかかるので、特に初心者にはワケが分からず大変です。できることが多いから使いこなすのが難しいです。
パソコンを操作している写真

岩渕:使いこなそうなんて思わなければいいんです。だって、世の中に電子レンジとかファックスとか機能満載の電化製品は山ほどありますが、レンジはチンできれば十分だし、ファックスは送れれば十分です (笑)

清水:そうですね。年寄りとか初心者とかも使うわけだから、簡単で分かりやすい確実なものが良いですね。だって、機能を多くすればそれだけトラブルも多くなるわけで。

岩渕:パソコンなんて最たるもの (笑)。ウェブではどうですか?

ゴチャゴチャは苦手

清水:やっぱり字がゴチャゴチャしているのは苦手です。リンクするところも分かりづらいし。メニューの項目があっちこっちに飛んだりするのも見づらいので、肩や目が疲れます。

縦に長いページだと、下にスクロールさせるためにはヘッドポインターでキーボードをうなずく感じで、何度も何度もキツツキが突っつく感じで操作しなくてはならないので、肩や首が疲れます。キーボードと画面と視線を行ったり来たりさせなくてはならないので、目も疲れます。

ヘッドポインターの棒は長いので、どうしても画面から離れた状態で操作することになり、画面の文字が小さいときでも、画面に近づくことができません。そんなときには文字を大きく出来るはずなんですが、文字を大きくできないサイトは困ります。

岩渕:フォントを固定するのは掟破りなんですけどね。

清水:仕方がないことかもしれませんが、ページにコマーシャルが多いのは、目がコマーシャルのほうに行ってしまって内容に集中できなくなってしまいます。お役所のホームページにどうしてコマーシャルがあるのか理解に苦しみます。せめてトップページにはコマーシャルを載せないでほしいですね。

岩渕:同感です。ところで、パソコンの使いにくいところには、どのような設定や工夫をしているのでしょうか?

工夫してパソコンを

清水:首から下が動かせないので、頭に付けたヘッドポインターでキーボードを押すことで全ての操作をしています。
ただ、ヘッドポインターだと一度にひとつしかキーが押せないので「ユーザー補助」の「キーボード」の「固定キー機能を使う」を設定しています。ヘッドポインターは長くても短くても首や目が疲れるので、長さの調整がとても大事です。
ユーザー補助の固定キー機能

また、「ユーザー補助」の「マウスキー機能を使う」を設定し、数字キーを押すことで、マウスカーソルを移動させています。
ユーザー補助のマウスキー機能

キーボードですが、自分の押しやすい角度になるように、キーボードの台を工夫してもらいました。電源のスイッチも、自分で押せるように滑り止めのゴムを付けてあります。パソコンの机も電動車椅子で膝がつかえないように作ってもらいました。
工夫した机の写真

岩渕:ウェブサイトの閲覧ではどうですか?

清水:絵のページだと画面の表示を、全画面にして見ています。そんなことくらいですかね。あと、なるべくテンキーを使って移動しています。画面の移動でも、キーボードショートカットを使うことで、操作の数を少なくしています。
テンキーで操作している写真

岩渕:この際ですから、パソコンやソフトのメーカーに、こうなるともっと使いやすいのになぁというご希望をお聞かせください。

ワケの分からないソフトは

清水:パソコンのトラブルが多いんですね。大切な時間を使っているので、パソコン自体がトラブルを自己診断して直してくれるような賢いパソコンになってほしいです。年寄りも使っているわけなので、誰でもある程度は使えるような簡単なものになってほしいです。

それと、パソコンを買うと色んなソフトが入っていますが、使うかどうか分からないような、ワケの分からないソフトは入っていないほうが良いです。

岩渕:初めから全部のソフトが本体にインストールされているのではなく、そういったソフトはCD-ROMでの提供までで、入れるかどうかは自分で選べるならまだマシということですね。実際、スタートメニューから「プログラム」とたどると、名前だけでは何に使うか分からないソフトがワンサカ入ってますものね。使わないソフトの上を通り過ぎないと使いたいソフトに到着できない状態が毎回毎回続くのは、それだけでもストレスだと思います。
画面をスクロールさせている写真

清水:そうです。最初から入っていたらそれだけで重くなるし、高くなるし。
画面の移動で首の筋肉が張っている写真

岩渕:ウェブがこうなると、もっと利用しやすくなるのにな…という要望もどうぞ。

清水:スクロールが長いのは疲れるから勘弁してほしいです。


No.2 肢体障害者の施設の中で(前編)

清水正男さんは、食事は介助、移動は電動車いすの肢体障害者です。首から下が動かせないので、当然マウスは使えません。でも、パソコンを使っています。頭に付けた棒の先でパソコンを操作しています。そんな清水さんと初めて出会ったのは、坂戸パソコンボランティアが正式にスタートする前の1998年9月ですので、足かけ10年の付き合いです。事故で障害者となった清水さんの生活の移り変わり、パソコンとの出会い、メーカーやウェブに望むことなど、あらためて聞いてみました。

ある日突然

岩渕:お久しぶり。今年の夏は暑かったですね。

清水:そうですね。暑かったですね。体温調整ができないので参りました。

岩渕:障害者になってからそうなったんですよね。障害をもつ前は、どんな生活だったんでしょうか。

清水:子どもの頃から身体を動かすことが好きだったので、学生時代はラグビーや色んなスポーツをしていました。

岩渕:趣味のほうはどうでしたか?

清水:趣味ですか。けっこう色んな遊びをしましたよ。遊び仲間がいたから冬はスキーをやったり、春から夏場にかけては釣りに出かけたり、クルーザーを仲間で買って東京湾から千葉の海、三浦半島と行ったものです。船の免許も取りました。モーターボートも買ったので、山中湖や猪苗代湖で水上スキーをしたりしました。車も好きでジープを持っていたので、トレーナーでモーターボートを引っ張って出かけました。お金は全部、趣味につぎ込んでいたので、いつもピーピーしてました (笑)

ヘッドポインターを付けた清水さん

岩渕:そんな清水さんが、「障害者」になったのはスキーの事故だったと聞きましたが…。

清水:スキーもあっちこっち行きましたよ。水上に草津に黒姫に妙高に。苗場も行きましたが、あそこは高くて混んでいるので、どんどん滑れる空いているスキー場を狙って行ってました。

岩渕:私が一番好きなスキー場は宝台樹なんですが、行ったことありますか?

清水:あそこで怪我したんですよ。奧利根国際スキー場には高校のときから行ってましたが、宝台樹はぜんぜん知らなくて、友達に電話したら知り合いが指導員をしていると聞いて、みんなで行くことにしたんです。成人の日だったですね。

絵とパソコンのコーナーの写真

岩渕:成人の日だと、超穴場の宝台樹でも混んでたでしょう?

清水:宝台樹の中でも空いているゲレンデが下のほうにあって…

岩渕:広いけど、けっこう厳しい中上級者向けのゲレンデですよね。

清水:リフト近くで止まった瞬間、後ろから追突され、相手の身体が首を直撃しました。起き上がろうとしたんですが、手足が全く動かなくなり、そのときから障害者になりました。

岩渕:えっ、あのゲレンデだったんですか。私がオープン2年目から通っていたゲレンデで清水さんが事故にあっていたなんてビックリしました。その事故で清水さんの身体はどのようになったのでしょうか。このインタビューで初めて知る人もいると思いますので、少し詳しくお教えください。


首の骨を骨折して

清水:首の骨を骨折しました。第3頚椎損傷で、体温調節もそうですが、それより何より肩から下の皮膚感覚がなくなって傷がついても分からない状態です。首から下の筋肉を動かす機能が全部ダメになりました。施設で暮らして20年になります。

岩渕:そうなると、食事をするにしても着替えをするにしても、誰かの介助が必要ですし、パソコンにしても、マウスを使ってチャチャッとはいきませんよね?

清水:自分で動かせる機能はほとんどないので、首と口という残っている機能を使って何かをしたい気持ちが生まれました。障害者になって4~5年経ってからですけどね。

岩渕:その障害は、清水さんが抱いてきた趣味や夢、生きがいや生活にどういった影響を及ぼしましたか?

清水:いやー、だいぶ変わっちゃったねー。ホントに。もう恥かしい話だけど、その年の6月頃に結婚する予定になっていたのに、天と地が引っくり返ってしまったわけで、みんなにも悪いことをしました。

口にくわえた筆で描いている写真

岩渕:趣味や夢、生きがいどころじゃなかったわけですね。

清水:それどころじゃなくて、生きるか死ぬかの状態が1年くらい続きました。

岩渕:清水さんは「口筆画」を掲げているわけですが、昔から絵を描いてたんですか?

清水:描いてないです。

岩渕:ということは、きっかけは?

自分を励ましながら

清水:リハビリ病棟だったので、残された機能を少しでも使って家族や友だちと交流ができるのではと看護婦さんに勧められ、最初は字を書くところから始まりました。下手な字でも手紙を出せるようになりました。その入院先にお見舞いにきた兄から、星野富弘さんの詩画集を見せてもらい、こういう人がいるんだ! 一生懸命生きている人がいるんだ!と思ったのがきっかけです。

岩渕:「字を書くところ」から始まったのは、星野さんも同じみたいですね。

清水曼珠沙華の書その後、オープンしたばかりの現在の施設に入所して、日常活動のひとつとして色々なクラブを作ることになって、自分たちにできるものには何があるだろうかと施設で暮らし始めたみんなと話し合い、自分でも絵がかけたらなぁ、絵を描くことで何か自分をあらわせたらなぁ、星野さんに少しでも近づけたらなぁと、絵画クラブを創立しました。自分をお終いにしたくなかったし、星野さんの障害より少し状態が良かったので、できないはずがない!と自分を励ましながら描いたものです。

岩渕:書道もしてますよね?

清水:筆を口でくわえて描くなら絵画も書道も一緒だと、書道クラブも始めました (笑)

岩渕:どんな風に書いているんですか?

清水:絵とおんなじで、筆を口にくわえて一気に書きます。長くくわえてられないので。

岩渕:あの字の勢いは、だからなんですね! 絵を描き書道もしている清水さんがパソコンを使いたいと思った気持ちの中には、パソコンによる何らかの展開を期待して…があったのでしょうか?

パソコンの時代と聞いて

清水施設の新聞最初はワープロを使って施設の新聞や文化祭や納涼祭のポスターを作っていたんですが、もうワープロが無くなる、パソコンの時代になると聞いて…。今までやっていた施設での頼まれごとや手紙を書いたりすることを継続したかったんです。
それと、絵の整理とか管理、インターネットやメールをやるとか、自分の趣味と関連付けたホームページを開きたかったので、パソコンを始めたいと思いました。絵やホームページで収入が得られたら自立して施設から出られるかもしれないとも思いました。

外との交流も少ないので、友だちを増やしたり、今までの友だちとの連絡を取り合ったりするのに便利かなと思いました。電話をかけるにしても自分だけではできないので、メールだったら自分だけでできるかなぁと思いました。
そのあたりをパソボラの人に聞いてみたら自分にもできると言われ、サポートもしてくれると言われたので、パソコンの購入からその後のサポートまで全て助けてもらっています。パソボラがいなかったら何もできなかったですね。

岩渕:実は、坂戸パソボラとしても、清水さんたちがサポート依頼の第1号だったんですよ。というか、清水さんたちのサポート依頼があったことで、“障害者へのパソコンサポートをするパソボラ”がそのとき集まっていた人たちに実感できたんじゃないかと思います。坂戸パソボラの正式発足は、清水さんたちへのサポートを始めて4ヵ月後ですから。
さて、清水さんは色々なホームページを見ることができるようになったわけですが、普段どのようなウェブサイトを利用していますか?

買い物に調べものに

清水:人によって絵の描きかたが違うじゃないですか。普段は、色んな絵のサイトを見たりして参考にしています。あとは、障害者のことについての調べ物やインターネットで買い物をしています。外出するときの下調べもしています。テレビを見ていて気になったことや分からないことを調べたりもしてますね。

岩渕:どんなものを買いましたか?

清水:最初は普通のカメラで、この間はデジカメを買いました。姪っ子へのプレゼントもインターネットで申し込んでそのまま配送の手配までできるので便利に使っています。

岩渕:パソコンが使えるようになったことで、また、ウェブを利用できるようになったことで、趣味や夢や生活が変わりましたか? 今までできなかったことができるようになった、あるいは、以前していたことがまたできるようになったということはありますか?

清水:趣味や夢でいうと、前より深くできるようになりました。

岩渕:深くというと?

人の手を煩わせないで

清水個展のポスター今までだと、ワープロでポスターを作っていましたが、パソコンになってからは自分の絵も取り込めるし、レイアウトをするにしても自分なりのものができるようになりました。ワープロを使って施設の新聞も作ってましたが、あの当時は文字のサイズにしても2倍角までで、大きな文字はコピーで拡大したものを貼ってもらっていました。

でもパソコンになってからは、大きな文字が自分のパソコンの中で自分で貼り付けられます。人に頼んで作るとなるとどうしても遠慮してしまいましたが、パソコンにしてからは自分の納得がいくものを作ることができるようになりました。
買い物にしても、人に頼まなくて済むようになったのが一番大きいかもしれません。

岩渕:ということは、パソコンを使えるようになる前やウェブを利用できるようになる前は、どうだったのでしょうか?

清水:外出するときでもあそこにエレベータがあるかとかスロープがあるかとか、人に聞いてたんですが、今では自分で調べておくことができます。何をするにしても、人の手を煩わせないでできるようになったのが一番ですね。

岩渕:パソコンを使い出したことで、ウェブを利用し出したことで、予想外だったことはありましたか?

清水:自分でできなかったことができるようになりました。使い始める前は予想していませんでした。

岩渕:具体的に言いますと?

清水:買い物とか、絵の資料を増やしたり、大勢の人と知り合ったり、知らない人とも知り合えるきっかけになりました。ホームページを見た人からドキュメンタリーを撮りたいとの思いがけない声がかかったりもしました。でも、絵に集中できなくなってしまいました (笑)
予想外といえば、パソコンの画像って修正しているせいかキレイすぎて、絵のサイトに飾ってある絵が面白味がないと感じたのは意外でした。本物とかけ離れていると感じてしまいます。自分のホームページに飾ってある絵は別ですが (笑)
パソコンを使っていると時間が過ぎるのが早かったのも予想外でした。それと、パソコンのトラブルが多かったのには参りました。


インタビューはまだまだ続きます。清水さんがパソコンやウェブとどう付き合っているか、使いにくさも含めてサイトへの要望、ケータイについてと、広がる話にご期待ください。

No.1 視覚障害者の暮らしにとって(後編)

前回に続いて、「ゆっこさん」こと吉田有紀子さんのインタビューを紹介します。(前回のインタビューを読む

予想外だったこと、困っていること

岩渕:ところで、パソコンを使い出したことで、ウェブを利用し出したことで、予想外だったことはありましたか?

ゆっこ:本が読めるというのは予想外でした。あと、大抵のことは自分なりに工夫したり慣れたりしてメール以外にも音声環境でできるんだなぁというのも予想外でした。

岩渕:パソコンを使う上で、ウェブを利用する上で、こういったところは使いにくいということがありますか?

ゆっこ:フラッシュだとか視覚に訴えるようなページが最近多いので、情報を正確に受け取れないのが使いにくいです。一番困るのがインターネットバンキングをしているとき、きちんとリンク名を書いていないサイトがあることです。ファイル名を読み上げてしまうので、何をしたいとき、どこのリンクに入ったらいいのか、分からなくなることがあります。あとやたらとフレームが分かれているのも使いづらいですね。

岩渕:どういったふうにサイトを作ると分かりやすくなるんでしょうか?

パソコンサポートをする吉田さんの写真

ゆっこ:リンクには長すぎず分かりやすい言葉を使ってほしいと思います。あと、ただ「何とかはこちら」も分からない人がいるんじゃないかと思います。住所とか電話とかの情報を画像化してペタっと貼ってあるだけなのも困ります。フレームが細分化されているのも困りますね。

岩渕:それって、見えていない人だけに困るページじゃないですよね。そういう作り方をしているページって、見えている人への配慮も足りないページになっているじゃないか…そんな傾向を感じてます。

ゆっこ:ハデで目立つページを作りたいのは分かるんだけど、読まないことには情報が無いのと同じわけで、補うような情報をつけてほしいと思います。

サイトに要望、反応は?

岩渕:使いにくいところにどのような設定や工夫をしているのでしょうか?

ゆっこ:たとえばサウンドの設定とかして、なるべく音でも分かるようにしています。エラーメッセージとかも読まないので、エラーになったらエラーの音が出るようにしています。あと、サイトを見て分からないときには、直接相手に電話をしたりメールで問い合わせるようにしています。時には「こうしたら私たち視覚障害者でも読めるんですけど」と要望を出します。

岩渕:要望を受けた相手の反応はどうでしたか?

ゆっこ:一応みんな「考えさせていただきます」と言ってくれます。でもどうしたらいいかとか何をしたらいいかを聞いてきてくれることはあまりありません。オルト属性(代替テキスト)に関しては「善処します」と言ってくれます。メールでの問い合わせに関しては、親切に答えてくれます。それで後でサイトを見た時に、少しでも改善が見られた時や、わからないなりにも対処してくれている時はとてもうれしいです。

岩渕:メールアドレスが載っているところは確かにそうだと思いますが、メールアドレスの載っていないところなんてありませんでしたか?

ゆっこ:そういうのは無かったと思うけど、あったとしてもそういうところはそういうところなんだなぁと思うから。

岩渕:いずれにしても、メールなり電話なり、問い合わせ先が分かるようなサイトだと、アクセスしていて安心できますね。

ゆっこ:メールアドレスがそのままリンクになっていたり、お問い合わせがメールアドレスとのリンクになっているところって、親切だなと思います。メールアドレスがテキストで書いてあるだけだと、インターネットに慣れていない人はこれをどうやってメールに書けばいいかが大変なんですね。メールアドレスを選んで実行するとメールアドレスが宛先に入力された状態でメーラーが起動するようになっていると助かります。

パソコンやソフトのメーカーに

岩渕:この際ですから、パソコンやソフトのメーカーに、こうなるともっと使いやすいのになぁというご希望をお聞かせください。

ゆっこ:なんせ音が出ればできることって沢山あるので、標準装備でなくてもいいから、読み上げ環境がオプションで選べたり、フリーズや砂時計を音で示したりしてパソコンの状況が音で確認ができるようにしてほしいと思います。

岩渕:ソフトのインストールでもそうですね。

ゆっこ:CD-ROMを入れたら、あとはエンターだけで操作できるようになっているのが楽です。「OK」「キャンセル」「次へ」だけでは、見える人がいないとインストールができません。これは、視覚障害者だけでなく高齢者もそうだと思います。声でのサポートがあると、使いやすくなると思います。

岩渕:視覚障害者向けのソフトのインストールでしている配慮ですが、他のソフトのインストールでも取り入れると助かる人がけっこういると思います。

ゆっこ:キーボードを押しにくい人もいるわけですし。

利用しやすいホームページ?

岩渕:ウェブがこうなると、もっと利用しやすくなるのに…という要望もどうぞ。

ゆっこ:とりあえず、リンクに名前をつけてほしいです。あと、仕方ないのかもしれないけど、クリッカブルマップを多用するのはやめてほしい。音声だと、「マップマップマップ」しか言わないし。

岩渕:それって、クリッカブルマップだけで、オルト属性を入れてないんじゃないのかな。でも、この要望って、「もっと利用しやすくなるのに」以前の問題ですよね。

ゆっこ吉田さんの顔写真視覚とか聴覚に訴えるのはいいんですが、ページを開けた途端、音楽が鳴るのはビックリしますね。「聞きたい人はこちらからどうぞ」と自分の意思で聞くのはいいと思うんですが、急に流れるのはちょっと。

岩渕:何を隠そう、私も音楽が聞こえてくるのはダメで、音楽を聞きながらパソコンなんてトンドモありません。字を読むことと音楽とが同居できないんです。だから、パソコンにヘッドフォンを挿しっぱなしにして、聞きたいときだけ聞こえるようにしています。

ゆっこ:特に私たちはスクリーンリーダー(音声読み上げソフト)を使っているからだけど、私もダメですね。

岩渕:じゃ、「サイトメロディ」なんて、トンデモ無いですか?

ゆっこ:実は私も使いたいと思ったんですけど、CMとかは音が大きいし、「サイトメロディ」が聞えている間はスクリーンリーダーの声が聞えにくいので実現していません。

岩渕:そうですね。流すにしても、数フレーズ程度してほしいものです。

ゆっこ:オルゴールくらいの、ちょっと聞えるくらいの。

ケータイも音声ガイドで

岩渕:ところで、パソコン以外でも、ケータイを使って便利なサービスを利用できるようになってきましたが、ケータイを使うことで今までできなかったことができるようになった、あるいは、またできるようになったという経験はありますか?

ゆっこ:音声ガイドで操作を案内するケータイにしてからは、以前のように電話帳を見ることもできるし、かけたい相手にかけることができるようになりました。見えなくなってすぐのときは、相手の電話番号を誰かに見てもらい読んでもらわないと電話もかけられなかったですから。一度駅を乗り越してしまって相手に電話しようと思ったとき電話番号を度忘れしてしまったことがあって、それをきっかけに音声ガイドのあるケータイに切り替えました。

岩渕:この間、ある人から「迷子になったときケータイのテレビ電話機能で周りを撮影して家族に見てもらい、自分がどこにいるのか教えてもらう」という話を聞きましたが、迷子のときにケータイが役立ったなんてことはありましたか?

ゆっこ:迷子ではないんですが、友達が紙に印刷されたものを見える友達にテレビ電話して、これはただの広告なのか、必要なものなのかを見てもらっているというのは聞いたことがあります。

岩渕:見えないからといって、ケータイのカメラ機能やテレビ電話機能が関係ないというわけでもないんですね。思わぬ使い方もあるようですし、他にももっと面白い使い方があるような気がしてきました。

ゆっこ:ケータイに限らず、普段みんなが使っている方法とは違う形で使っているけれども、工夫次第ですごく便利に使えるものってあると思います。

岩渕:そういったユーザーの声を吸い上げて活かすと、メーカーもお客さんの発掘につながって売り上げが伸びると思いますね (笑)

ゆっこ:(笑)

新しい技術と使いやすさと

岩渕:アクセシビリティはICT(Information and Communication Technology:情報通信技術)の進化と密接な関係にあるわけですが、でも、新しい技術って、その技術だと使えない人を生み出してきましたよね。「ブログが流行ればブログ!ミクシィが流行ればミクシィ!」といった具合に、技術の進化や流行を追いかける人や使いたがるサイト…。技術の進化は否定しませんが、インターネットやパソコンやケータイが広がったことで、今までできていたことができなくなってしまったという経験はありますか?

ゆっこカメラを持つ吉田さんの写真今は何でもデジタル化して、表示をみて操作するものが多いんですが、そういうものは使えません。昔だったら電子レンジもダイヤルで時間を設定できたんですが、今はデジタル操作で、しかも、ボタンもタッチパネルやちょっと浮き出たようなボタンで、分かりづらく押しづらくなっているように思います。

岩渕:洗濯機もそうですね。

ゆっこ:「障害者にも使いやすい」を謳ったケータイでタッチパネルを使ったものもあったようなんですが、何でもかんでもデジタル化はどうかと思います。

岩渕:タッチパネルだと使いにくいのは視覚障害者だけではなく上肢障害者もそうですし、私の場合、指先が湿っていないからなのか、エレベータのボタンが押すタイプではなく触るタイプだと、なかなか反応しないことがあります。使う人には色々な人がいるんだということを考えて作ってほしいと思いますね。

ゆっこ:ですね。

さて、A.A.O.?

岩渕:色々と聞いてきましたが、最後に、このインタビューが掲載されるA.A.O.についてもお聞きしたいと思います。ゆっこさんには2年ほど前にも「A.A.O.サイトのユーザテスト」に協力してもらったことがありましたよね。障害をもっているユーザーという立場から、A.A.O.のこういったところが使いやすい、音声で聞きやすいといった他のサイトにも見習ってほしい点はもちろんですが、A.A.O.サイトを閲覧していて困ったこと、改善してほしいなと思ったことも、ご遠慮なくどうぞ。他のサイトには率直に言い過ぎると御幣があるかもしれませんが、「A.A.O.はアクセシブルなウェブをめざす提供者と利用者のための実用サイト」を掲げているのですから、2年経ったのに直ってない!も含めて遠慮は無用です(笑)

ゆっこ:「お問い合わせ」についてですが、中に入ってから、もう一度アドレスへのリンクがあり、その下にウェブからの送信フォームがあるのは、少し紛らわしいと思いました。「お問い合わせフォーム」というのと別にアドレスへのリンクがあるのに、「お問い合わせフォーム」の中にもアドレスのリンクがあるのも分かりづらいと思います。
また、メールアドレスの上に「アライドブレインズ株式会社」のリンクがありますが、これも紛らわしいと思います。 この「アライドブレインズ株式会社」の中の「お問い合わせ」のリンクには、セキュリティがどうのこうのでページが開けず、入れませんでした。

「ウェブアクセシビリティ通信」の申し込みのリンクですが、リンクに「お申し込みはこちら」しか書いていないので、何の申し込みか分かりづらいと思います。「ウェブ通信アクセシビリティお申し込みはこちら」とか「ニュース受信お申し込みはこちら」とかにした方が、リンクだけを辿っていっても分かりやすいと思います。

あと、「お悩み相談コーナー」ですが、最初のページでは回答だけがリンクになっていて、その回答のページに入ると、回答の後に「お悩み1」「お悩み2」などのリンクがありますが、初めのページで質問を簡潔な言葉でリンクにして、その中に詳しい質問と解答、もしくは回答がリンクになっていた方が、分かりやすいのではないかと思いました。「お悩み1」「お悩み2」というリンクは、いちいち中に入って見なくてはいけないので、あまり意味を感じませんでした。

サイト内検索もあり、「本文へ」のリンクもあり、全体的には見やすいと思いますが、トップページの全体の量が少し多いようにも感じました。とりあえずこんな感じです。これじゃサイトチェックみたいですね (笑)

岩渕:ほんと、サイトチェックみたいになってきました (笑)。今回、久しぶりにA.A.O.の感想をいただいたわけですが、「アクセシブルなウェブをめざす提供者と利用者のための実用サイト」を掲げているA.A.O.であっても、前回見直してから2年も経つと気付いていない点がまた出てくるわけですから、障害をもったユーザーの声を受け止めてサイトを見直すって大事なんですね。

ゆっこ:視覚障害者だけがアクセスしているのではないから、そのあたりの折り合いをつけるのが難しいですよね。みんなのことを考えて、みんなが使いやすくというのはとても難しい。これで完璧、誰も文句を言わないというのはあり得ないので。

岩渕:何らかの指摘をしたくなったところがあったとして、それが「文句」に聞こえるかというとそんなことはないのであって、サイトチェックのお仕事じゃないんだから、まるでダメなら「文句」もナニも黙って立ち去りますよね (笑)。でも、そのサイトを何かしら評価し期待しているからこそ、これじゃモッタイナイと指摘しているわけで、ちゃんとしたサイト提供者なら真摯に受け止め、アクセシビリティ改善の機会にしてくれると思います。本日は、どうもありがとうございました。


写真提供:近藤尚之

A.A.O.の担当者から吉田さん(ゆっこさん)へ

長時間のインタビューにご協力をいただき、まことにありがとうございました。吉田さんの「なんせ音が出ればできることって沢山あるので」という言葉を、できるだけ多くの人に伝えたいと感じました。

吉田さんにはこれまで様々なサイトの評価テストにもご協力をいただいていますが、A.A.O.にも約2年ぶりにコメントをいただいています。いろいろな人にとっての使いやすさを考えつつ、できることから取組んでいきたいと思います。いずれもなかなか悩ましいご指摘ですが、「お問い合せ」のページの構成、「ウェブアクセシビリティ通信」の申し込みのリンク、「お悩み相談コーナー」のリンクについて、音声で少しでも分かりやすくなるように調整をしてみました。

今後、いろいろなご意見を聞きながら社内でも議論し、より使いやすいサイトを模索していきたいと思います。ご協力どうもありがとうございました。(大久保)

No.1 視覚障害者の暮らしにとって(前編)

「ゆっこさん」こと吉田有紀子さんはパソコンの画面が見えません。画面以外も見えません。つまり、視覚障害者、全盲です。でも、毎日パソコンを使っています。パソコンが読み上げる画面からの情報を頼りにパソコンを操作しています。
そんなゆっこさんと初めて出会ったのは、坂戸パソコンボランティアが2000年8月に開催した「視覚障害者のためのパソコン体験講座」の会場でした。あれから7年。今ではメールにウェブとパソコンを起動しない日が無いくらいキーボードな日々を送っているゆっこさんですが、「ゆっこは一日にしてならず」。ゆっこさんとパソコンとの馴れ初めやパソコンとお友達になってからのアレコレを聞いてみたいと思います。

まさか私が…

岩渕吉田有紀子さんの写真ゆっこさん、お久しぶりです。今回はゆっこさんから、視覚障害者にとってパソコンやウェブとはどういったものなのかをお聞かせいただけるとのこと。ありがとうございます。と、いきなり固い話から始まってしまいましたが (笑)、その前にまずゆっこさんについて。ゆっこさんは、障害をもつ前は、どのような生活をおくっていたのでしょうか。また、どのような趣味や夢、生きがいなどを持っていたのでしょうか?

ゆっこ:普通に学校に行って仕事をしてました。趣味はカラオケと読書、一人で2・3駅くらいの距離を歩くのも好きでした。夢とか生きがいは別に無かったです。

岩渕:今のゆっこさんを知っている私からすると「別に無かった」とは意外でしたが、そんなゆっこさんが「障害者」になった…。具体的にはどういった障害なのでしょうか?

ゆっこ:「糖尿病性網膜症」による視覚障害です。

岩渕:この病気は、見えなくなるがけっこうあるんでしょうか?

ゆっこ:「糖尿病性網膜症」は糖尿病の三大合併症で、見えなくなる人がけっこういるらしいんだけど、私の周りにはそういう人はいなかったし、まさか私がそうなるとは思ってなかったです。

パソコンとの出会い

岩渕:その障害は、ゆっこさんの生活にどういった影響を及ぼしましたか?

ゆっこ:カラオケがすごく好きだったので、歌詞を見て歌えない。歌詞を覚えられない。読書ができない。一人で好きな時に好きな所へ出かけられない。外を歩けない。趣味で発散していたので、それができないというのは大きかったです。見える頃にはバンド活動をしてたんですが、それもできなくなりました。今は障害をもった仲間たちとまたバンドを組んでいますが。

岩渕:ライブでも歌ってましたしね。ところで、見えなくなってから、ずっと家にいる生活だったと聞きましたが?

ゆっこ:家にいた生活は1年くらいですね。心の準備も無いまま見えなくなってしまったので、これからどういう仕事をしていけるのか、どうやって生きていこうか、不安でした。でも、坂戸パソコンボランティアのパソコン体験講座と出会って、そこでパソコンの相談に乗ってくれた人から国立身体障害者リハビリテーションセンターに生活訓練があるというのを聞いて、もっと便利で安全な生活の方法を教えてもらえるんじゃないかと思い、8ヵ月入所しました。その中でパソコンを仕事に生かしたいと思い、今度は1年間職業リハビリテーションセンターで職業訓練を受けました。

岩渕:その結果はいかがでしたか?

ゆっこ:就職の夢はかないませんでした。でも、パソコンを知ったのを切っ掛けに世界が広がりました。まずメールで情報のやりとりができ、ホームページを見れるようになって情報を得られるようになり、今度は自分のホームページを持つことができて情報の発信ができるようになりました。今は体調に無理のない程度に、在宅でサイトチェックや、モニターの仕事をさせてもらっています。

バンドに映画にサポートに

岩渕:前はスケジュールがガラガラだったかもしれないけど、今では1ヵ月の予定がビッシリですよね?

ゆっこ:スケジュール管理が大変です (笑)。でも、パソコンとかケータイを使って工夫しています。

岩渕:管理が大変なほどの忙しさということですが、具体的にはどんな忙しさなんですか?

ゆっこパソコンサポートをする吉田さんの写真バンドの練習をしたり、バリアフリー映画を観に行ったり色々なイベントに参加したり、地域の視覚障害者のサークル活動をしたり、そのメーリングリストの管理をしたりと色々です。

岩渕:視覚障害者へのパソコンサポートもしていると聞きましたが?

ゆっこ埼玉県障害者ITサポートセンターのパソコンボランティアに登録していますので、サポートを依頼した人の自宅に出向いて音声でパソコンを使えるようになるためのお手伝いをしています。

カラオケ復活!

岩渕:そういったことも含めて、パソコンやウェブを利用できるようになった成果といえますね。パソコンを使いたいと思った気持ちの中には、パソコンによる何らかの展開を期待して…があったのでしょうか?

ゆっこ:手紙を書くのがすごく好きだったんです。パソコンにはメールというのがあるというのは知っていたけど、しょせん見えないとできないと思っていたんですが、見えなくてもメールができるんじゃないかという可能性を知ったとき、たまたま親戚を通じてパソコン体験講座があるけど…と誘われ、ぜひメールをやりたいと思って参加しました。

岩渕:そして、今ではメールだけでなく色々なホームページを見ることができるようになったわけですが、普段どのようなウェブサイトを利用していますか?

ゆっこ:別に特定のサイトを見ているわけではなく、情報を調べたいときGoogle(検索エンジン)を利用することが多いですね。

岩渕:なるほど、そのあたりは同じですね。ゆっこさんは、パソコンが使えるようになったことで、また、ウェブを利用できるようになったことで、趣味や夢、生きがいや生活が変わりましたか? 今までできなかったことができるようになった! あるいは、以前していたことがまたできるようになった!ということはありましたか?

ゆっこ:ありますね。ウェブから自分がほしい本を検索してデイジー図書やカセットテープとして借りることができるし、点字データをダウンロードしてパソコンで読ませることもできるようになったから。カラオケも、歌詞をパソコンで調べて読ませることができるので、覚えていかなくてはならないけど、今ではまた行くようになりました。

岩渕:何曲くらい覚えて行くんですか?

ゆっこライブで歌う吉田さんの写真何曲ということはないけれど、その場でこれ歌いたいというのはできないから…。私の友達でカラオケボックスにノートパソコンを持って行った人はいましたが (笑)

岩渕:ゆっこさんがまたカラオケに行けるようになったとき最初に歌った歌、覚えてますか?

ゆっこ:覚えてないです。

岩渕:じゃ、ゆっこさんの得意な歌や持ち歌をひとつ。

ゆっこ:好きな歌は、今井美樹の「PIECE OF MY WISH」かな。

手紙も復活!

岩渕:ぜひ今度、聞かせてください。先ほどの話では、ゆっこさんはカラオケも好きで手紙を書くのもすごく好きだったということでしたが、メールで手紙は復活しましたか?

ゆっこ:ハイ。自分の思っていることを文字にして伝えられるので。相手からのお返事も誰かに読んでもらうのではなくて自分で読めますし。

岩渕:それは大きいですね。ゆっこさんの話ではないですが、「ラブレターだけは読んでもらうのはチョット」というのを聞いたことがあります。

ゆっこ:「見えないからプライバシーが無いのはしょうが無い」というのはどうなのかなぁと思います。

岩渕:ということは、パソコンが使えるようになる前は、手紙は中断してたんですか?

ゆっこ:もちろんそうです。

公的支援の情報は?

岩渕:ところで、公的な支援サービスは受けてましたか?

ゆっこ:市の広報はテープで来てましたが、それぐらいですかね。ずっと家にいたので、情報が入ってくる機会がないですよね。障害者に関する情報は無かったから。どこで何を聞いたらよいかもわからないし。

岩渕:社会福祉協議会も広報を出していて、それが市の広報に挟んで配布されているんですが、それは市の広報のテープには入ってなかったんでしょうか?

ゆっこ:何巻かテープがあったようなんですが、社協のテープがあったかどうか、よく覚えていません。何にしても、こっちから言わないと気付いてもらえないんですが、こっちとしては閉ざされた世界なので、何ができて、何をしたらいいか分からない…。

岩渕:情報の受け手にとっては、受け取りやすいことを配慮した情報提供って大事なんですよね。でも、そのあたりって、けっこう置き去りにされていて…。


インタビューはまだまだ続きます。ゆっこさんがパソコンやウェブとどう付き合っているか、使いにくさも含めてサイトへの要望、ケータイについてと、広がる話題にご期待ください。

写真提供:近藤尚之

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