災害時の情報受発信
第1回:3.11 その時視覚・聴覚障害者は…
[ 2011年9月20日 ]
ラジオを聞いて様子を見る
激しい横揺れが2、3分続いたでしょうか。揺れが収まってくると私はすぐラジオを付けました。ラジオからは「落ち着いて行動してください。頭を守ってください。火を使っている方は揺れがおさまってからガスを止めてください。」といったアナウンスがされていました。荒い息遣いをしながらも冷静な呼びかけをしようとするアナウンサーの声に少しずつ落ち着いていきました。一緒に打ち合わせをしていた方々はマンションのドアを開けたり、家族へ連絡を取ろうとしたりしていました。
すぐに外へ出るのはかえって危険だと感じ、そのままラジオを聞いて1時間ほど様子を見ていました。宮城県で震度7の揺れがあったこと、大きな津波が来ていることを聞いて、「大変なことが起きた。これからどうなるんだ。」と感じていました。「大津波情報」という聞きなれない言葉に違和感もありました。自分の目で周りの状況を把握することはできないので、とにかくラジオの情報を頼りにしていたことと、一緒にいた方に外の様子を細かに教えてもらっていました。幸い近所には目立った影響はないようでした。
Twitterとmixiで情報収集しながら歩く
しばらくして、打ち合わせをしていた方5人と帰宅することにしました。一時はマンションに一晩泊ることも考えましたが、自宅で留守番をしているねこが心配だったのと、自宅でしなければならない仕事が残っていたからです。今いるのは東京都目黒区。電車はすべて止まっています。私が住んでいる杉並区まで歩いて帰ろうと、まずは新宿を目指して歩きました。
都内は人であふれていました。余震が続く中、家族や友人の安否が気になり電話をかけてみましたがつながらず、メールを送っても返事は帰ってきませんでした。そんな中Twitterとmixiはいつものように使うことができました。そこでまずは自分自身の無事をつぶやき、何人かの友人の無事も確認しました。その後も主な情報源はTwitterとmixiでした。「○○中学校が体育館を開放しているよ。」「うちのトイレ使ってください。」「新宿駅は大混雑している。今新宿に向かっている人は気を付けたほうがいいですよ」など、帰宅困難になった首都圏の人々をサポートするような情報、また「大津波がきて街を根こそぎさらっていった」「○○ビルの隣で火事」など被災状況を伝えるような情報がたくさん流れていました。テレビやラジオで情報収集できない状況の中、こういったソーシャルメディアからの情報は大変役に立ちました。
緊急避難所から仙台の友人の無事を確認
3時間ほど歩いて新宿駅に着いたときにはすでに日が暮れていて、疲れもピークに達していたため、一緒に歩いてくださった方々と別れ、私は一人都庁内の緊急避難所で一泊することにしました。緊急避難所にはテレビがつけられていてそこからある程度の情報はわかりましたが、被災地の状況に不安と恐怖を感じて見ていられませんでした。私は仙台に3年ほど住んでいたこともあり、視覚障害を持つ友人もたくさんいます。「彼らは見えない中で今自分が置かれている状況をどのぐらい把握できているだろうか。家族や職場の仲間、近所の人たちと一緒にいられたら情報は得られるだろうけれど、一人でいる人もいるんだろうなあ。」と、彼らの安否がとても不安でした。そこで、被災地でネットを使える人がどのくらいいるかはわかりませんでしたが、たとえたった一人でも誰かに伝わればと、「避難所で目の不自由な人を見かけたらどうか声をかけてあげてください。私たち視覚障害者は変化する情報を瞬時に把握することが難しいです。トイレの場所や食料の配給などお手伝いいただけると助かります」といったようなつぶやきを何度もしました。仙台に住んでいる友人の一人をTwitter上で見つけ、無事を確認することもできました。
夜遅くまでmixiで情報収集をして、少しだけ眠りました。夜中にも余震があり、地震情報を知らせるメールの着信音があちこちで鳴って、そのたびにびくっとして目が覚めました。熟睡できないまま朝が来ました。幸い私が普段使っている電車は動いていたので、朝ご飯は後回しにしてとにかく自宅へ帰りました。