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わたしとWebとパソコンと
No.3 次第に見えなくなる生活の中で(前編)

[ 2008年4月24日 ]

岩渕正樹さんの写真 インタビュアー
岩渕正樹さん
(いわぶち まさき)

岡野五恵さんの写真 岡野五恵さん
(おかの いつえ)



弱視の岡野五恵さんと初めて出会ったのは、6年前に坂戸パソコンボランティアが開催した「視覚障害者のためのパソコン体験講座」。岡野さんにとって、次第に見えなくなるとはどういうことなのか、次第に見えなくなる生活の中で、Webやパソコンやメールやケータイはどのように役立っているのか。岡野さんの生活を通して、耳を傾けたいと思います。

「障害者」を意識するとき

岩渕:最初に、自己紹介をお願いしたいと思います。岡野五恵さんは、どのような人なのでしょうか?

岡野岡野五恵さんの写真わりとサッパリしてると言われるんだけど、ウジウジしてるんです。でも、ウジウジしているわりには身体を動かすのが好きで。スポーツマンなんだからサッパリしているはずなのにね。動いているのは好きだけど、動いていないことも多くて、両極端の性格なんです。本は読めないのでジッと座って朗読を聴いているのは苦になりません。しばらく座って充電して、また動き出す。そんなところでしょうか。

 

岩渕:色々な性格が矛盾無く同居しているお得な性格ということですね (笑)

さて、今の自己紹介ですが、話の中に「障害」という言葉は出てきませんでした。ということは、自分の中では紹介するまでもないことなのでしょうか?

岡野:そうですね。自分の中には見えないことによる「障害者」という意識は確かにないですね。とりあえず自分の家の中のことをこなしているんですが、そのときは障害者という意識はあんまり、いや、全然していなくて。ただ、外に出ると、自分はやっぱり「障害者」なんだなということを意識せざるを得なくなりますね。
自分が「障害者」なんだと意識させられてしまうときって、落ち込みますね。まだ中途半端なんです。何を基準として「障害者」なのか、自分の中でわかっていないところもあるし。
病気の人たちがいますよね。でも、その人たちのことは「障害者」とは言わないし、行政との関わりでは「障害者」なんだなと思ってしまうとか。自分と違う形の「障害者」を見ると、「障害者」なんだと思うし。自分が「障害者」であることを拒絶しているわけではないんだけど。まだ自覚が足りないのかもしれません。

岩渕:「自覚が足りない」のは、最初からの「障害者」ではなく「中途障害」だったから…と言いたかった?

岡野:そうそう (笑)

岩渕:そのあたりに進む前に、そもそも、岡野さんはどういった障害をおもちなのかというところからお話ください。

網膜色素変性症

岡野:「網膜色素変性症」という病気で、今の目の状態は視野の欠損が97%、視力は右が0.01、左が0.02です。この春から急激に視力が落ちてしまって、物の陰影がハッキリしない状態で、霧の中にいるような感じでいます。外出するのが好きだから、わりと一人で出かけていたのですが、歩行もだいぶ危なっかしくなってきたなと思うようになりました。電車も一人で乗り降りしていたのですが、ホームの移動で恐怖感が出てきて。自分の向いている位置や方向感覚がわからなくなって、周りの人にだいぶ助けてもらうようになりました。

岩渕:障害をもつ前は、どのような生活ぶりだったのでしょうか?

岡野:普通の主婦でしたね。子どもが二人いるんですが、下の子がちょうど1歳になった頃にこの病気がわかりました。それまでは子育て中の普通の主婦でした。

岩渕:そんな岡野さんは、主婦としての顔以外に、どんな趣味や夢、生きがいなどを持っていたのでしょうか?

岡野:動いているのが好きだったから、子どもを連れてよく出かけていたし、ボールとかをもって公園で遊んでいたり、とにかく身体を動かすのが好きでした。そのころはウオーキングもしてましたし、エアロビクスもしてました。子どもたちが寝ている朝早くには公園で太極拳もしてました。やっぱり身体を動かしてましたね。映画もよく見に行ってました。

岩渕:どんな映画を? やはり身体を動かす映画でしょうか? (笑)

岡野笑っている岡野さんの写真子どもたちもいたので、『ハリーポッター』とかジブリの映画は必ず見に行っていましたね。今でも「金曜ロードショー」でやるときは必ず見ています。『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』や『紅の豚』が好きですね。

 

だんだん見えなくなる…

岩渕:先ほど、お子さんが1歳の時と言っていましたが、何年くらい前だったのでしょうか?

岡野:今17歳だから、16年前ですね。

岩渕:だんだん見えなくなるというのは、本人にとってはどのような感じなのでしょうか?
こういったインタビューで初めて知る人もいると思いますので、立ち入った質問であっても、また知っていることであっても、あらためてお聞かせいただければと思います。そうですね。答えるにあたっては、この方面での「障害者代表」になったおつもりでお願いします (笑)

岡野:そうねー。その診断を下された時には、まるで不自由がなかったんですね。だんだん見えなくなると言われたり、障害者手帳を申請したほうが良いといわれても、全然ピンとこなくって、そのまま今の状態が続くような気がしてたんだけど、2~3年たったころから少しずつ進行してきて、やっぱりその時には、どうしようというか、どうなるんだろうみたいな不安な気持ちでした。今のうちにできることは全て体験しておきたいという、追い込まれるような切迫感を感じてましたね。
極力自分の力でやりたい、他人の力を借りないでしたいという、自分で壁を作って苦しんでいたような気がします。

岩渕:岡野さんと同じような「網膜色素変性症」の人は、多いのでしょうか?

岡野:そうですね。私が診断を受けた頃は自分の周りにこの病気の人が居るのを聞いたことがありませんでした。そのうち個人情報の扱いが厳しくなって、病院とかで聞いても教えてくれなくて。私が診断を受けてから3~4年くらいたってから網膜色素変性症の団体「日本網膜色素変性症協会(JRPS)」が立ち上がることを新聞で知って、第1回目の立ち上げの総会に行ったんです。私、会員番号が25番なんです。

岩渕:JRPSができる前は、患者さんたちの間での情報交換のようなものはあったのでしょうか?

岡野:情報交換をする場があったかどうか私は知らないんですが、JRPSそのものは千葉大学の安達惠美子先生を中心に立ち上がったんです。「色変(網膜色素変性症)」はお医者さんから見離された病気だと私は聞いていました。でも、「色変」の患者がけっこういて、「色変」の患者を何とかしようという先生たちもいて、千葉大学が中心となってJRPSが立ち上がったと聞いています。

岩渕:障害者団体というのは、歴史の古い団体がけっこうありますが、そうではない、比較的若い団体なんですね。弱視イコール「色変」なのでしょうか?

岡野:いや、「色変」だけじゃないと思いますね。ベーチェット病とか糖尿病もあるみたいだし、「色変」だけじゃないと思います。

岩渕:今お聞きした範囲では、弱視は全て病気からですが、病気に由来しない弱視もあるのでしょうか?

岡野:どうなんでしょう。両眼の視力が0.3以下で、メガネやコンタクトで視力の矯正ができないものを「弱視」というようですが。

岩渕:弱視の人からのサポート依頼はこれからもあるわけで、そのあたりは自分でも調べてみます。

岡野:私も調べてみます。

通り過ぎたりぶつかったり

岩渕:岡野さんの場合ですが、どのように見えているのでしょうか? 見えなくなってきた当時の状態からお聞かせください。

岡野:夜、自転車で主人の後ろを走っていたとき、主人が角を曲がったのに気がつかなくて通り過ぎたり、子どもが寄ってきたのに気がつかなくてぶつかったりすることが頻繁になってきたんです。それが病院に行くきっかけでした。
その頃は、夜盲症が進んでいるのかなぁと思ったり、視野が狭いのでぶつかったりしてるのかなぁとは思いましたが、普通の生活はできました。だから、性格的にそそっかしいからかな?とノンビリ思ってたんです (笑)
でも、一度病院で診てもらったほうがいいということになって、大学病院に行きました。

岩渕:病気になる前の目の状態はどうだったのでしょうか?

岡野:小学校6年生から近視と乱視ということでメガネをかけ始めてました。
メガネだったりコンタクトだったりという生活は、15~16年くらいでしたが、病院でコンタクトを作るじゃないですか。その間一度も目の病気だと言われたことはなかったです。

岩渕:自分としては突然だったということでしょうか?

岡野:そうですね。びっくりしました。

岩渕:突然なる病気なのでしょうか?

岡野:いや、違うと思います。「先天性」だと言われますから、それなりに徐々に進んできたんだと思いますが、かといって、わかっている範囲の家系には居ないし。「先天性」とは言われているけど突発的になる人もいるみたいだし。

岩渕:つまり、身内にいないからといって油断はできないということですね。何かあったら気にすることにします。

岡野:気にしてください。私もだんだん進行するにつれて、自転車でぶつかってみたり…が多くなっていって、できなくなることが多くなりました。自転車をやめたほうがいいとか。進行するにつれてまぶしさが増してきて、メガネの色を一番濃くしたし帽子も手放せなくなりました。

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